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万博に出展する八尾市企業13社の社員にスポットライトを当てた取材記事   ~第4回 ミナミダ~

(今回の取材を受けてくださった方)
株式会社ミナミダ 今中さま、岡野さま

(住所:八尾市上尾町5丁目20-1番地)

「冷間鍛造(れいかんたんぞう)」という常温で金属に圧力を加えて成形する技術を用いて、ボルトやナットなどの自動車などに使われる金属部品を数多く製造されている株式会社ミナミダさま。

今回はミナミダさまに訪問し、今中さまと岡野さまに「1970年万博の思い出など」「2025年万博への想い」を聞いてきました!

―――では、今中さまに万博のお話をお伺いする前に・・・。
今中さま!このたびはポスターにご出演いただき、誠にありがとうございました!
こんなに貼りだされると思ってなかったのでビックリしました。記念にこのポスターを自宅にも貼ってあるんですが、妻も非常に驚いてました。

今中さまにご出演いただいた万博告知ポスター
当時はエレキバンドを組まれており、その時のお写真と現在を対比しています。

―――ポスター制作にご協力いただき、本当にありがとうございました!
それでは、当時の万博についてお話をお伺いしようと思います。大阪万博(1970年)当時のご年齢から教えてください。
当時は20歳でした。中学時代の友人3、4人で車に乗って万博会場へ行きましたね。合計で3回ほど万博に行ったと思います。

(左から、岡野さま、今中さま)

―――当時の車事情は非常に大変だったと聞いていますが、道は混んでいなかったですか?
もう、かなり混んでいましたよ(笑)途中で帰ろうかと思うくらい、進まなかったことを覚えています。

―――入場までにヘトヘトになりそうですね(笑)会場内で印象に残っていることはありますか?
アメリカ館とソ連館の行列がすごかったです。待ち時間も3時間くらいでした。さすがにこれは無理だと思いました。

―――やっと万博会場に入場できたと思ったら、人気のパビリオンは3時間待ち!それはキツイですね!笑
結局「月の石」を生で見ることはできませんでしたね(笑)
あとはパビリオン以外で、印象に残っていることといえば、UCCの缶コーヒーですかね。

―――あ、UCC!当時は万博会場で販売されていたんですよね?
そうです。当時は、飲み物が缶詰になっているなんて衝撃でした!缶詰といえば魚や肉などの食べ物しかなかった時代ですから、コーヒーが缶に入っているなんて、まさに『未来の飲み物』という感じがしましたよ。

万博会場の様子がテレビで流れた際に、缶コーヒーを飲んでいる人たちを見た視聴者が「あれは何だ?」となり、大ブームになったみたいです。

―――実際に会場で缶コーヒーを飲んでる方は多くいらっしゃいましたか?
いっぱいいたと思います。ただ、当時はまだまだ食べ歩きの文化がなかった時代で、歩きながら飲み食いをするというのは、行儀が悪かったんですよ。今でこそイベント会場で食べ歩きすることは定着していますが、当時は違ってましたね。

―――万博は、新しい文化や考え方に触れることができるイベントだったんですね!「食べ歩き」以外で、新しい文化を感じるものはありましたか?
ああ~、トイレですね(笑)

―――トイレですか?
はい。当時はまだ和式トイレが多かったんですが、万博には海外の方が多く来られるので洋式トイレもあったんです。
私自身、洋式トイレを使用したことがほとんどなくて、はじめて使ったのは千里に住んでいる友人宅でした。その際も使い方が分からず、便座にのぼってやろうとしちゃいましたね。その友人宅のトイレには「洋式トイレの使い方」が貼ってありました(笑)

―――そういう時代だったんですね。ただ、それでいくと海外の方は「和式トイレ」の使い方が難しかったんじゃないでしょうか?
そうだと思いますよ!日本人は洋式トイレに苦戦して、外国人は和式トイレに苦戦してたと思います。

―――これも一種の「人類の進歩と調和」かもしれないですね!(※1970年大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。)
かもしれないです(笑)

―――それでは最後に、自社が万博に出展されることへの想いをお聞かせください。
前回の大阪万博はもちろんのこと、東京オリンピックなどの国際的なイベントは、多くの人の記憶に残ると思います。そして今回の万博がどういったものになるのかとても楽しみです。
まさかポスターに出ることになるかと思わなかったですし(笑)

―――今中さんありがとうございました!
では、続いて、岡野さまにお話をお伺いします!
はい、よろしくお願いします!

―――万博についての印象を教えていただけますか?
太陽の塔や万博記念公園の印象しかありませんね。万博記念公園の芝生でボール遊びしたり、お弁当食べたり(笑)それこそ「万博」って何をする場所なのか、あまりわかっていないのが本音です。

―――大阪に住んでいると、万博記念公園はピクニックする場所という印象もありますよね(笑)ちなみに万博記念公園の中には、当時の万博を知れる施設もありますが行かれたことはありますか?
いえ、すみません、ないです(笑)

でも、こうして資料を見ていると、今見ても新しく感じるようなパビリオンばかりで驚きました!特に、噴水の施設がすごいです!

―――「噴水」ですか?
はい、とてもきれいで上から水が流れてるんです。……あ、これですね!

―――「夢の池の夢の噴水」って書いてますね!すごい!笑
これすごいですよね!これ、水はどこからどう出ているんでしょうね(笑)
現代にもないような施設や建物が、万博会場の中にはいっぱいあったんだと感じました!

―――では、突然なんですが、ここで岡野さんに「万博クイズ」を出題しようと思います。いいですか?笑
え!クイズですか(笑)はい、わかりました、頑張ります!

―――1970年当時の万博の入場料はいくらだったでしょうか?
ちなみに、当時は3区分に分かれていて、「大人」「青年」「小人」でした。「大人」の料金を答えてください!
ええ~、難しいですね!笑

―――ちなみに当時の平均月収は5万円だったそうです。それを踏まえて、ぜひ、お答えください!
……
えーと、そうですね……『2,500円』くらいかな? いやでも回答は『8,000円』にします!!

―――『8,000円』ですか。本当にそれでいいですか?
う~ん、じゃあやっぱり『800円』で。

―――え!?正解です! ええぇぇ~!!?笑
やったぁ~!!笑

8,000円からの800円で、まさかの大正解となりました(笑)

―――すみません、かなりダイナミックに正解の回答をいただいたのですが、景品はなく、大変申し訳ございません(笑)

―――それでは最後に、自社が万博に出展されることへの想いをお聞かせください。
これまでは万博が何をする場所か、はっきりとわかっていませんでしたが、今日こうして今中さんのお話を聞いてイメージがわいてきました。
あと、個人的な話だと、テレビなんかで万博の話題がよく出ているので、子どもも万博が大阪でやることを知っていて、「お母さんの会社が万博に出るよ」と子どもには伝えています。ただ、「ほんまに万博に出れるん?」と疑われましたが(笑)
万博に出たという経験は、今後ずっと語っていけることだと思うので、精いっぱい頑張りたいと思います!

―――今中さま、岡野さま、本日はありがとうございました!
万博までの道のり、これからも引き続きよろしくお願いいたします!

最後はポスターの前で生写真を撮影させていただきました!
今中さん、岡野さん、ありがとうございました!
ミナミダさまで製造されている製品が展示されていました!圧巻です!
今回、取材をさせていただきましたお部屋のホワイトボードに、このような掲示がありました。
かわいくて思わず写真を撮らせてもらいました!


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株式会社ミナミダ
https://minamida.co.jp/

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この取材シリーズは全13社によるリレー形式で行われます。「バトン」を受け取った企業が、次なる企業へとつないでいきます。

【今回のバトン】

ハンドル操作をタイヤに伝え、正確な方向転換をサポートする重要な部品「タイロッ ド」。一般的には200mm以下のものが多いですが、ミナミダでは300mm以上のロングボルトの 生産が可能です。普段目にすることは少なくても、確かな技術と品質で、安全で快適 な走行を実現する部品を作っています。

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取材班は、「バトン」を持って次なる企業へと向かいます!
次回もどうぞご期待ください🤗